「対岸に立っている」と感じることがしばしばある。
小説のタイトルを、ぼーっと眺めていると、「あ、あの『対岸』のことが書いているのか」と気づき、読んでみることにした。
産む・産まない、結婚する・しない、働く・働かない。
この間を流れる川は、深い。向こう岸は、遠い。
私自身は、急に自分自身が対岸に立っていることがあって、
向こう岸から、一方的に投げかけていた自分の言動を省みる経験を何度かした。
女同士の隔たりと分かり合えなさは、学生時代から地続きである。
大人になると、隔たる要素は増える。しかし、学生時代と変わって、諸問題を生活に紛れさせていくことも出来る。
そんなことを小説では描いている。
働いていた岸から、結婚する岸へ、産み育てる岸へ、そしてまた働く岸へ。
それぞれの渡り方でずれていく感覚。
学生時代、スクールカーストによるグルーピングで生まれていた、教室の諸島。
あの時の変わらないことが、大人でもあるじゃないかと気づいた時、「なぜ私たちは年齢を重ねるのか」と問いかけてみたくなる。
何度目かの問いかけで、主人公は気付いた。
「なぜ私たちは年齢を重ねるのか。生活に逃げ込んでドアを閉めるためじゃない、
また出会うためだ。出会うことを選ぶためだ。選んだ場所に自分の足で歩いていくためだ。」
小説を読み終わって、対岸の主人公2人は、35歳だったことに気付いた。初版は2007年だけど、今、読めたことが嬉しい。
以前、山内マリコさんの「私たちよくやっている」に収録されている「How old are you?」を読んだ時、主人公は34歳で、私も34歳だった。
小説を読み、他の同い年の女の人生を体験できるのが、嬉しい。