子どもの言動への適切な応対というのは、難しい。バランス感覚と瞬発力の鍛錬。
子どもの存在が日常化すると、応対はパターン化する。かつ、自分に余裕がないと、受け流す、 もしくは押さえ込む手法をとりがちだ。
本を読んだ。著者は、小学生男児2名と暮らす彼氏との出会いをきっかけに、 子どもたちとの関わり合い方を試行錯誤している。著者は、 血の繋がりに興味がない自覚があるからこそか、「男3人がデフォルト状態の暮らしを変容させて良いものか」「 今、母親になろうとしていなかったか」などと、 一つ一つ自分の振る舞いと、その際の感覚を検証していく。
ぎくりとしたのは、息子に対して「ママにチューして」 などと発する、母親が息子を私物化したような行為への指摘。血が繋がっていたら鈍感でいていいかもしれない行為。子どもであれ、彼氏であれ、他者を一個人と捉えて接する著者の視点を通じて、ハッとする。
この著者の本は、以前にも読んだ。文章がとても面白い。両方ともエッセイなのか私小説なのか、赤裸々だ。 書店員ということで、 人生課題への参考書籍を紹介していて、それも楽しい。
人生にゴールってないけど、設定した課題に決着、もしくは一区切りつけられた時に、 こういう文章って書けるんだろうか。成功体験というA面みたいな話は、進行形で書けるだろうけど、B面みたいな話においては。 私もテーマ設定して、赤裸々に書いたら、結構書き甲斐あるB面人生歩んでると思うんだけど。書ける「決着」のタイミングって一体どんな時なんだ。