もめのめも書き

日常のエッセイ、仕事の記録など。

Y町へ。

SNSを流し見る行為の積み重ねで、一方的に知っているような気になってしまう、近くにいなくなったあの人のこと、その人のこと。そのことを悪しきことと、ただ断罪するのは勿体ない。

 

だけど、時折、便りを出したり、直接会いに行くのも大切にしたい。かつて暮らした町の近所の家の人たちは、高齢の方ばかりで、知らない間に亡くなっていて、二度と会えないということもある。

 

それだけは本当に避けたい、特別な存在のお母さんが岡山県のY町にいる。20代半ば間まで実家暮らしだった私が、初めて外へ出て暮らしたのがY町で、そこで実のお母さんみたいに気にかけてくれていた。

 

皇后美智子さまターシャ・テューダーに似ていると私は思っていて、品のある人。畑のお野菜、お花、手作りのご飯で、スープの冷めない距離から愛を届けてくれていた。農法とかよりも、愛のかけ方で野菜が美味しくなることを知った。私は猫が苦手だけど、なぜかこの家の猫だけ平気だった。

 

1年に1度は会っている気がする。お母さんはあまり変わりがなかったが、少し年上のお父さんは80歳になって病もそれなりに抱えていた。町も少しだけ変わっていた。

 

1時間に1本のほぼ無人の駅にIC対応の改札が出来ていたりとか、中学校がもうなくなりそうだとか、そんな変化と同じように、私ももちろん表面的には変化している。だけど23歳の時に初めて降り立った、街灯がなく星だけがただ無数に見えたこの町に感動した時と根本的にはたいして変わらないよ、と言ってくれるみたいに、お母さんは、そのままの、その時の私を静かに優しく受け止めてくれた。

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