もめのめも書き

日常のエッセイ、仕事の記録など。

〔エッセイ〕住み、慣れる。

物件探しの条件は、一軒家。都会での一人暮らしに、贅沢かもしれない。でもその時は、広い空間、自分の城を貪欲に欲していたのだ。知り合いに「合いそう」と勧められた地域で物件を探すと、あっという間に安価な家賃で見つかった。

 

「合いそう」の理由のひとつは、地域に息づく「移住者」を中心としたコミュニティの存在だったと思う。都会からの「移住者」として、農山村や離島で暮らしていた私にはぴったりだ、と自分でも思った。

 

しかし、仕事場などで、その町で暮らす「移住者」と遭遇すると、親近感を抱くと共に、なんとなく心が重くなっていく自分がいた。「合いそう」と数ヶ月前の自分が思った理由を、現実では1mmも享受していない。外ではやたらと出会う「移住者」にも、その町で生活している最中には誰にも会っていないし、「コミュニティ」を実感していない。

 

「田舎暮らし」をしていた時は、合計4エリアの個性豊かなコミュニティに触れた。野菜には困らなかったし、洗濯物が勝手に取り入れられてたりしたし、月初に必ず謎のお祓いをしにあがりこんでくるおじいちゃんがいたし、だいたい晩御飯の時間には家族以外の誰かもいた。車の有無で所在は常に明らかだから、明日は出かけるとか、ご近所にスケジュールも自ら伝えていた。未だに何人かのおじちゃんおばちゃんとLINEでちょこちょこと近況報告をしている。(LINEはほとんど普段使わないが、年配者とのやりとりに実は便利だと知る)

 

そんな自分がコミュニティに馴染んでないなんて、と焦っていた。週の大半を過ごす仕事場に近いわけでもないし、と思うと憂鬱に。

 

家から駅まで、おおよそ10分強を毎日歩く。同じような人がたくさんいる。朝の空気のなか駅へと急ぎ、暗がりのなか自宅へ帰る人。駅の近くには遅くまでやっているコンパクトなスーパーがある。同世代くらいの人も買い物をしていて、いつも違う人だ。この町にはたくさんの人が住んでいる。誰も別に私を知らないし、知らせる必要もない。この駅に帰ってきた時、何者でもない自分になり、スイッチがオフになり、ホッとしている自分に気づいた。今の自分なりの「ホーム」へと変わってきている。肌が馴染む。自分の中に住み着いた「住み慣れる」の概念を、アップデート。「今の自分」も変わるだろうから、また、町との関係もきっと変わっていくだろうけど。

 

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