もめのめも書き

日常のエッセイ、仕事の記録など。

THE WIFE。

面白かった映画の話。ネタバレほどは、してないはずです。THE WIFE」。邦題は、「天才作家の妻-40年目の真実-」。

 

女流作家が成功する見込みなどなかった時代。才能ある女学生ジョーンは、二流作家である教授ジョセフと恋に落ちる。ジョセフ(男)の着想は良いが、細やかな表現を用いて作品として完成させる力はジョーン(女)にあった。2人は、ジョセフ(男)の作品を、影武者でジョーン(女)が仕上げていくという形で力を合わせ、40年後、ついにノーベル文学賞を受賞する。

 

ベッドで手を取りあって飛び跳ねて、2人で大喜び。「俺がノーベル賞をとった」とジョセフ。40年前、初めて2人の共同作業(表向きは夫の仕事)で出版が決まった時も同じように喜んだ。その時は「俺たちの本だ」と言っていたのにね。

 

妻ジョーンはそれで良かったのだ。本心で夫ジョセフの成功を喜んだ。だって、若かったあの頃、女の自分が認められる社会ではなかったし、彼を立てて成功に導かないと彼の承認欲求は満たされず、自分から離れて他の女性のところいってしまったはずだから。そしたら何も残らないじゃないと。何より彼の才能に惚れたのも事実だろう。私が認めた、もっと評価されるべきだろうと。

 

しかし、栄光を手にして無配慮に喜ぶ夫の言動が、ジョーン(女)の心の奥底を複雑に揺さぶりはじめる。ジョセフ(男)は妻への感謝をスピーチなどでも度々言うけれど、妻を賛辞する夫が評価される欧米社会だからだよね。そして浮気は繰り返すくせに、本当に妻を失うのは不安だからね。

 

「あなたはうんざりしているのでは?影で彼の伝説を作り続けることに」とジョーン(女)本人すらも認めていない「本音」を暴こうとする記者の存在が、さらに揺さぶった。

 

 

女は、社会によって依存的にさせられてしまいがちだが、男は本来依存的な動物だなと思った。劇中の夫の「自立ごっこか?」というセリフが象徴的だ。(もっとも、妻ジョーンは、依存的な女ではなく、いわゆる「良き妻」でもあり、理知的な1人の女性である)

 

THE WIFE(妻)」という言葉には、長きに渡る歴史の中で、制度や意味が付着しすぎている。本人たちの努力や信念だけでは、抗いきれない言霊。可愛らしいウエディングドレス、温かな家庭などのハッピーエンドのイメージは「花嫁」である。「妻」は異なる。可能性は無限に拡がるのではなく、言葉の持つ意味の中に限定されていくものだ。言葉に染み込んだ「言霊」。言霊の力は馬鹿にできない。それがよく分かった上で、選ぶのが良いだろう。別に、妻(夫)にならなくとも、パートナーという選択肢もあるわけだし。(もちろん、誰もが自由に選べるという前提があってのこと)

 

また別の問題で、同じ人間と長きに渡って過ごして生じる「情」という存在。2人が喧嘩を始めると起こる、孫の誕生の一報などの「アクシデント」。さっきまで大喧嘩していても、あっというまにハグをして喜びを共有することも出来る。

 

愛と欲望、家族、成功単純じゃないなと、つくづく思う。

 

まあ、こんな具合に複雑な人間の描写が素晴らしく、誰もがどこかに感化され何か語りたくなる映画だと思うので、まだの方は是非。

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ハロー、銭湯。

先日、近距離で引っ越しをした。近所を散策していると薪が積まれている銭湯が目に入った。ここは地元でもあるのだけれど、初めて知った。私の実家では、銭湯に通う文化はない。

 

岡山の田舎で生活をしていた時期に、温泉が身近になった。岡山の三地域で暮らしたが、どこも近所に温泉があった。(田舎なので車で230分は近所の範疇)

 

今の住まいの近所(都会なので徒歩圏内を指す)の銭湯だが、かなり満足した。

 

まず安い。大人ひとり370円。コンパクトながら、ジェットバス、炭酸泉、ラドン、スチームサウナという充実具合。田舎生活時代に、温泉(あるいは銭湯)付きゲストハウスで働いていたので、汚れが経年変化によるものか、手抜きによるものかは、空間に入れば察知出来る。ここは前者。清潔だった。

 

生活の周辺を充実させるコツは、まだまだありそうだ。

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運命の台湾。

台湾人の友達がいる。彼女との出会いは、ちょっとだけドラマチック。

 

数年前、私は岡山の田舎のゲストハウスにて住み込みで働いていた。

産まれたばかりみたいな幼子を育てながらで、

心身共に詰まり切って負のオーラを纏う私をどこかに放牧し、

成長して欲しかったのだろう、「海外へ一人旅に行きなさい」と

当時の夫や、共に働いていたメンバーから課題を出された。

 

その時選んだのが、台湾だった。

正直、旅に行きたくなかったし、

「ゲストハウスと家族が自分のすべて」と思い込んでいたので、

その場を離れることが不安で仕方なかった。

そのため、期間は2泊3日と自分で決めた。

(もっと行ってきていいと言われたのに)

 

興味があるとすれば、アート、美味しいご飯、オシャレなお店。

2泊で行けるご飯の美味しそうな場所という理由で台北を選んだ。

 

山口県の萩で同じくゲストハウスを営んでいる知り合いに、

一つのゲストハウスを紹介してもらった。

台北の北投という温泉があるエリアで、

一度廃業した旅館をアートの手法も借りながら再生したゲストハウスだという。

私が働いていたのも同じく、一度廃業した温泉施設を再生した場所だったので、

このゲストハウスを旅の最終目的地とした。忘れていたが、私は温泉も大好きだ。

 

北投の駅に着いたものの、スマホはネット環境になく、

まともな地図を持ってくるのを忘れたので、道に迷いに迷った。

スクーターを押したおばさんが私が道に迷っていることに気づき、

中国語か台湾語で勢いよく話かけてきた。

全然分からなかったが、困っていることと助けたいという気持ちは、

瞬間的に通じ合った。

おばさんが近くにいた男性2人に声を掛け、

3人がかりで、私をゲストハウスまで案内してくれた。

 

 

そこのゲストハウスで働いていたのが、冒頭の友人だ。

日本が大好きで何度も日本に来ているという。

温泉みたいな温度の人柄の彼女に、

思わず「岡山のゲストハウスに来てよ!」と口走った。

彼女は友達を連れて、本当にその3ヶ月後くらいに

1ヶ月間ヘルパーとしてやって来た。

濃密な日々を過ごした後、台北に一度帰り、

その数ヶ月後からは、ワーキングホリデーの制度を使って

1年間スタッフとして働いた。

温泉に浸かりながら、互いにこれからの人生をどうしようかとよく話した。

 

彼女のワーキングホリデーの1年間が終わる頃、私もゲストハウスを卒業し、同時に送別会を開いてもらった。

 

北投のゲストハウスのWebサイトには、英語と日本語訳でこのように書いている。

“To lose one’s way is to begin a journey. ” 

英語には疎いのだけれど、「道に迷うことは旅の始まり」と書いているのだろうか。

ゲストハウスの日本語訳には「失うことは旅の始まり。」と書いている。

 

どちらにしても、私の旅のキャプションにぴったりだ。 

 

台湾での一人旅は、人生の一人旅のスタート地点だったと振り返って思う。

「自分にはゲストハウスと家族しかない」という思い込みを抱えて旅に出て、

道に迷いたどり着いたゲストハウス。

様々な想いから一度すべてを失って、自分を立て直すための。

無理やりでも旅に出してもらって良かった。

 

先日、台湾に彼女を訪ねた。

彼女のおばあちゃんの手作りの台湾料理を大量にご馳走になった。

岡山のゲストハウスはキャパが30人くらいなのに、

彼女の親族だけで満室になったことがある。

その時泊まっていた幼い子たちがわざわざ会いに来てくれたりした。

私が分からないことはおかまいなしに、中国語(か台湾語)で、

勢いよく話しかけてくるおばあちゃんたちは、

あの日私をゲストハウスに導いてくれたスクーターのおばちゃんの姿と重なった。

 

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ほぼ女。

娘がいるのだが、5歳にして色気がある。

喜怒哀楽の表現方法、甘え方、ファッションへのこだわり…どれをとっても、ほぼ女。おそらく生まれ持っているもので、いつ萌芽するかということなのだろう。同じ時期の自分を思い出す限り、その要素は眠っていた。七五三の着物や化粧を泣くほど嫌がり、怪獣みたいな人形を連れ立っていた記憶がある。なんなら私は、ある時期からつい3年くらい前までノーメイクだった。

 

そんな私の娘が、化粧への憧れを表明した。私の服装、イアリングなどについて、毎度「ママこれ可愛いね」と褒めてくれ、美への探究心を窺わせる。(ピンクでヒラヒラ好きの彼女の好みとは離れているが)。私自身、今でもたいした化粧はしていないけれども、5歳児などとあしらわず、対等に教えてみることにした。(アイシャドウのブラシの扱い方をきちんと説明した方が、化粧品への被害も抑えられると判断したのもある。)

 

これが二度目にして上出来。やはり興味が湧き出ているものは、やってみるのが良い。欲求の消化と達成感による前進。

 

まだ幼い上、趣味は異なるとは言え、「可愛い」という共通の視線によるコミュニケーションは面白く、男子とは違う距離感。(男子については以前書いた:男子の生態

 

歌を作ったり唄ったりしている友人の「MOTHER」という歌の歌詞のワンフレーズ「お揃いの服を買ってみたり」という箇所を、私は、娘と自分を重ねて思い出す。

(余談だが、私はこの歌に度々救われている)

 

とは言え、この仲良さみたいなものが、私たち世代とその母親との関係性に見られる「#母が重い」に繋がらないように、と戒めてもいる。結局は自分は自分でしかなく、所有欲で自分を満たそうとしても、苦しむだけである。湯山玲子の「四十路越え! (角川文庫)」という本を貪って、アラフォー女の生きる術を胃袋に放り込んだ。

 

不自由を持て余す若きを越えれば、やり方次第で、四十路頃から女をもっと楽しめるというのだ。5歳児同様、我々世代も我々世代なりに、これからである。

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2019年に寄せて。

走っているうちに、たぶんいろいろ落ちてった。

どこにいるとか、肩書きとか、誰といるとか、そういうの。外側。

に、よって自分が何者かを感じて、その自分になっていく、そういう過程。

を、抜けるために、1年間を使いました。

 

1年のうちに、住処も仕事も名前も変わりました。

変えて、変わろうと必死だったけれども。

けれども、出来ることを、出来るだけやり、

愛されようと厭われようと、生きているのはこの身しかないわけだから。

ただ、毎日、地道に、努めることで、

自分の力をつけて、目の前を拓いていく。

それが今年の解答です。

 

その解答を実践する2019年。

結果、ふわりと飛んで、どうぞ、ちょっとの愛を。

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懐かしいとんかつ屋。

ある日、不足していた急ぎの品を買いに、google mapを頼りにあまり行かない道を歩いてた。

朝からまともに食事をしていなかったので、ついでに夕食を済ませられる店を道すがら眼力にてサーチ。

 

目に入ったのは、懐かしいとんかつ屋。高校時代、女子バレーボール部の仲間とよく行っていた店だ。白ご飯と何かおかずを食べたくて堪らなかったので、丁度良かった。店内に入って懐かしさは薄らぎ、新鮮さがあった。「よく行っていた」感じはなかった。

 

女子バレーボール部では、部員ではなくマネージャーだった。私はもともと男子バレーボール部のマネージャーだったのだが、高2の途中くらいの時、部員がほぼ全員辞めてしまった。男子バレーボール部にマネージャーだけいても仕方なくなったので、女子バレーボール部から声を掛けてもらったのだった。この店は、同学年の部員たちの試合前の縁起担ぎの場所だった。彼女たちにとって「よく行っていた場所」であって、途中からジョインした私が行ったのは、もしかすると一度程度かもしれない。

 

今思うと、高校からその店は結構離れている。高校生の徒歩での行動範囲って結構広い。バスや電車に真新しいランドセルを背負った小学生が一人で乗っている姿を見かける度に、「一人ですごいなあ」って思うことがよくある。高校生の私たちもよく歩いていた。大人になった私は、若い子たちも、昔の自分も、そしてこれからの自分の可能性も、見くびってしまっているのかもしれない。

 

牡蠣フライとトンカツ、どちらにするか悩んでいたら、どちらも食べられるセットがあった。私以外には「近所の馴染み」といった感じのおばちゃん2人。常連客のいる時の、一見客の存在って浮きがちだけれど、ここの店主のおじさん、とてもいい塩梅だった。馴染みには馴染みなりに、一見客の私にもいい具合に丁寧語で接客してくださる。馴れ馴れしくならず、親しみを感じる接客ってセンスだと思う。

 

店主以外にアルバイトの女の子がいた。高校生くらいだろうか。バイトを上がる時間らしく、店主が「何揚げる?」と聞き、女の子は「唐揚げでお願いします」と言っていた。持って帰るまかないだろうか。私が学生時代アルバイトをしていたお好み焼き屋での雰囲気と重なり、この点で懐かしさを感じた。よく店主のおじさんに「何焼く?」と聞かれ、「焼きそば」と答えていて、その時カウンター席には常連の夫婦なんかがいた。

 

お会計をすると、「今日はレディースデーなので」と言って、割引券をもらった。いいタイミングだった。

 

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