もめのめも書き

日常のエッセイ、仕事の記録など。

ハロー、銭湯。

先日、近距離で引っ越しをした。近所を散策していると薪が積まれている銭湯が目に入った。ここは地元でもあるのだけれど、初めて知った。私の実家では、銭湯に通う文化はない。

 

岡山の田舎で生活をしていた時期に、温泉が身近になった。岡山の三地域で暮らしたが、どこも近所に温泉があった。(田舎なので車で230分は近所の範疇)

 

今の住まいの近所(都会なので徒歩圏内を指す)の銭湯だが、かなり満足した。

 

まず安い。大人ひとり370円。コンパクトながら、ジェットバス、炭酸泉、ラドン、スチームサウナという充実具合。田舎生活時代に、温泉(あるいは銭湯)付きゲストハウスで働いていたので、汚れが経年変化によるものか、手抜きによるものかは、空間に入れば察知出来る。ここは前者。清潔だった。

 

生活の周辺を充実させるコツは、まだまだありそうだ。

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運命の台湾。

台湾人の友達がいる。彼女との出会いは、ちょっとだけドラマチック。

 

数年前、私は岡山の田舎のゲストハウスにて住み込みで働いていた。

産まれたばかりみたいな幼子を育てながらで、

心身共に詰まり切って負のオーラを纏う私をどこかに放牧し、

成長して欲しかったのだろう、「海外へ一人旅に行きなさい」と

当時の夫や、共に働いていたメンバーから課題を出された。

 

その時選んだのが、台湾だった。

正直、旅に行きたくなかったし、

「ゲストハウスと家族が自分のすべて」と思い込んでいたので、

その場を離れることが不安で仕方なかった。

そのため、期間は2泊3日と自分で決めた。

(もっと行ってきていいと言われたのに)

 

興味があるとすれば、アート、美味しいご飯、オシャレなお店。

2泊で行けるご飯の美味しそうな場所という理由で台北を選んだ。

 

山口県の萩で同じくゲストハウスを営んでいる知り合いに、

一つのゲストハウスを紹介してもらった。

台北の北投という温泉があるエリアで、

一度廃業した旅館をアートの手法も借りながら再生したゲストハウスだという。

私が働いていたのも同じく、一度廃業した温泉施設を再生した場所だったので、

このゲストハウスを旅の最終目的地とした。忘れていたが、私は温泉も大好きだ。

 

北投の駅に着いたものの、スマホはネット環境になく、

まともな地図を持ってくるのを忘れたので、道に迷いに迷った。

スクーターを押したおばさんが私が道に迷っていることに気づき、

中国語か台湾語で勢いよく話かけてきた。

全然分からなかったが、困っていることと助けたいという気持ちは、

瞬間的に通じ合った。

おばさんが近くにいた男性2人に声を掛け、

3人がかりで、私をゲストハウスまで案内してくれた。

 

 

そこのゲストハウスで働いていたのが、冒頭の友人だ。

日本が大好きで何度も日本に来ているという。

温泉みたいな温度の人柄の彼女に、

思わず「岡山のゲストハウスに来てよ!」と口走った。

彼女は友達を連れて、本当にその3ヶ月後くらいに

1ヶ月間ヘルパーとしてやって来た。

濃密な日々を過ごした後、台北に一度帰り、

その数ヶ月後からは、ワーキングホリデーの制度を使って

1年間スタッフとして働いた。

温泉に浸かりながら、互いにこれからの人生をどうしようかとよく話した。

 

彼女のワーキングホリデーの1年間が終わる頃、私もゲストハウスを卒業し、同時に送別会を開いてもらった。

 

北投のゲストハウスのWebサイトには、英語と日本語訳でこのように書いている。

“To lose one’s way is to begin a journey. ” 

英語には疎いのだけれど、「道に迷うことは旅の始まり」と書いているのだろうか。

ゲストハウスの日本語訳には「失うことは旅の始まり。」と書いている。

 

どちらにしても、私の旅のキャプションにぴったりだ。 

 

台湾での一人旅は、人生の一人旅のスタート地点だったと振り返って思う。

「自分にはゲストハウスと家族しかない」という思い込みを抱えて旅に出て、

道に迷いたどり着いたゲストハウス。

様々な想いから一度すべてを失って、自分を立て直すための。

無理やりでも旅に出してもらって良かった。

 

先日、台湾に彼女を訪ねた。

彼女のおばあちゃんの手作りの台湾料理を大量にご馳走になった。

岡山のゲストハウスはキャパが30人くらいなのに、

彼女の親族だけで満室になったことがある。

その時泊まっていた幼い子たちがわざわざ会いに来てくれたりした。

私が分からないことはおかまいなしに、中国語(か台湾語)で、

勢いよく話しかけてくるおばあちゃんたちは、

あの日私をゲストハウスに導いてくれたスクーターのおばちゃんの姿と重なった。

 

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ほぼ女。

娘がいるのだが、5歳にして色気がある。

喜怒哀楽の表現方法、甘え方、ファッションへのこだわり…どれをとっても、ほぼ女。おそらく生まれ持っているもので、いつ萌芽するかということなのだろう。同じ時期の自分を思い出す限り、その要素は眠っていた。七五三の着物や化粧を泣くほど嫌がり、怪獣みたいな人形を連れ立っていた記憶がある。なんなら私は、ある時期からつい3年くらい前までノーメイクだった。

 

そんな私の娘が、化粧への憧れを表明した。私の服装、イアリングなどについて、毎度「ママこれ可愛いね」と褒めてくれ、美への探究心を窺わせる。(ピンクでヒラヒラ好きの彼女の好みとは離れているが)。私自身、今でもたいした化粧はしていないけれども、5歳児などとあしらわず、対等に教えてみることにした。(アイシャドウのブラシの扱い方をきちんと説明した方が、化粧品への被害も抑えられると判断したのもある。)

 

これが二度目にして上出来。やはり興味が湧き出ているものは、やってみるのが良い。欲求の消化と達成感による前進。

 

まだ幼い上、趣味は異なるとは言え、「可愛い」という共通の視線によるコミュニケーションは面白く、男子とは違う距離感。(男子については以前書いた:男子の生態

 

歌を作ったり唄ったりしている友人の「MOTHER」という歌の歌詞のワンフレーズ「お揃いの服を買ってみたり」という箇所を、私は、娘と自分を重ねて思い出す。

(余談だが、私はこの歌に度々救われている)

 

とは言え、この仲良さみたいなものが、私たち世代とその母親との関係性に見られる「#母が重い」に繋がらないように、と戒めてもいる。結局は自分は自分でしかなく、所有欲で自分を満たそうとしても、苦しむだけである。湯山玲子の「四十路越え! (角川文庫)」という本を貪って、アラフォー女の生きる術を胃袋に放り込んだ。

 

不自由を持て余す若きを越えれば、やり方次第で、四十路頃から女をもっと楽しめるというのだ。5歳児同様、我々世代も我々世代なりに、これからである。

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2019年に寄せて。

走っているうちに、たぶんいろいろ落ちてった。

どこにいるとか、肩書きとか、誰といるとか、そういうの。外側。

に、よって自分が何者かを感じて、その自分になっていく、そういう過程。

を、抜けるために、1年間を使いました。

 

1年のうちに、住処も仕事も名前も変わりました。

変えて、変わろうと必死だったけれども。

けれども、出来ることを、出来るだけやり、

愛されようと厭われようと、生きているのはこの身しかないわけだから。

ただ、毎日、地道に、努めることで、

自分の力をつけて、目の前を拓いていく。

それが今年の解答です。

 

その解答を実践する2019年。

結果、ふわりと飛んで、どうぞ、ちょっとの愛を。

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懐かしいとんかつ屋。

ある日、不足していた急ぎの品を買いに、google mapを頼りにあまり行かない道を歩いてた。

朝からまともに食事をしていなかったので、ついでに夕食を済ませられる店を道すがら眼力にてサーチ。

 

目に入ったのは、懐かしいとんかつ屋。高校時代、女子バレーボール部の仲間とよく行っていた店だ。白ご飯と何かおかずを食べたくて堪らなかったので、丁度良かった。店内に入って懐かしさは薄らぎ、新鮮さがあった。「よく行っていた」感じはなかった。

 

女子バレーボール部では、部員ではなくマネージャーだった。私はもともと男子バレーボール部のマネージャーだったのだが、高2の途中くらいの時、部員がほぼ全員辞めてしまった。男子バレーボール部にマネージャーだけいても仕方なくなったので、女子バレーボール部から声を掛けてもらったのだった。この店は、同学年の部員たちの試合前の縁起担ぎの場所だった。彼女たちにとって「よく行っていた場所」であって、途中からジョインした私が行ったのは、もしかすると一度程度かもしれない。

 

今思うと、高校からその店は結構離れている。高校生の徒歩での行動範囲って結構広い。バスや電車に真新しいランドセルを背負った小学生が一人で乗っている姿を見かける度に、「一人ですごいなあ」って思うことがよくある。高校生の私たちもよく歩いていた。大人になった私は、若い子たちも、昔の自分も、そしてこれからの自分の可能性も、見くびってしまっているのかもしれない。

 

牡蠣フライとトンカツ、どちらにするか悩んでいたら、どちらも食べられるセットがあった。私以外には「近所の馴染み」といった感じのおばちゃん2人。常連客のいる時の、一見客の存在って浮きがちだけれど、ここの店主のおじさん、とてもいい塩梅だった。馴染みには馴染みなりに、一見客の私にもいい具合に丁寧語で接客してくださる。馴れ馴れしくならず、親しみを感じる接客ってセンスだと思う。

 

店主以外にアルバイトの女の子がいた。高校生くらいだろうか。バイトを上がる時間らしく、店主が「何揚げる?」と聞き、女の子は「唐揚げでお願いします」と言っていた。持って帰るまかないだろうか。私が学生時代アルバイトをしていたお好み焼き屋での雰囲気と重なり、この点で懐かしさを感じた。よく店主のおじさんに「何焼く?」と聞かれ、「焼きそば」と答えていて、その時カウンター席には常連の夫婦なんかがいた。

 

お会計をすると、「今日はレディースデーなので」と言って、割引券をもらった。いいタイミングだった。

 

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祖母の寸景。

世界中、旅をした祖母。旅の記録は、スケッチブックに丁寧にまとめていた。スナップ写真、道端のスケッチ、レストランから持ち帰ったコースター。祖母の目を通すと、日常的な風景は、穏やかなスポットライトが当たり、生き生きと踊りだす。

 

90歳を迎えるまで働き、一人で旅をした。94歳の今、生まれ育った神戸の街が一望出来る山の上のケアホームで過ごしている。この日は、台風が訪れる前。海の向こうまで、はっきりと見渡せた。 

 

「世界中旅をしたけれど、神戸は本当に良い街」。

 

部屋の棚には、何十年の間に集まった旅の欠片とともに、旅先で撮った自らの写真、数冊の本。「世界の露店」「シチリアへ行きたい」など、祖母らしいセレクション。

 

山の木に鳥が留まり、また離れていく様子を、飽きることなく見つめる祖母の横顔は、相変わらず美しかった。

 

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調え方。

とても落ち込むようなことがあった友人に、その父上は「それはとんでもなく面白い本に出会うしかないね」というようなことを言ったと聞いた。よく分かる気がする。読書家でもなんでもなかったけれど、吸い込まれるように多くの本を読んでいる。大変ご無沙汰であるので、最初は手に取る本を躊躇した。本からのパワーを受け容れることが出来なさそうなので、選書がおそるおそる。回を重ねるうちに、少しずつ潜っていって、読める幅が少し広がった。とは言え、まだまだ偏っている。選書の偏りは、心の立ち位置のカルテのようで、折り目のつけたところが処方箋だろう。

 

 

スマートフォン、必要だけど、迫り来るノイズ、逃れられなさで、いちいち惑う。惑わないように2週間近い瞑想なんかも行ったけど、日常に全く取り入れられないので、読書はどこか瞑想代理。

 

もうひとつのメンテは、掃除。住処を整えておくことが、健全でいるための重要ポイント。許されるならずっと住処の掃除をし続けたいくらい。料理好きでもないけれど、自分の台所で料理をするというのは、心のメンテ。家に備蓄されていたものに、近所の豆腐屋やスーパーで少し買い足して簡単なスープを作った。仕事ではしているのに家ではいつかいつか、とやっていなかった野菜のクズを使ったベジブロスも作り置きした。

 

いつかいつか、とやっていなかった浴槽に湯を張ることも行った。浴槽で本を読んで、足を揉んだ。

 

お茶が好きなのに、作り置きするボトルがないからと、ペットボトルの水ばかり飲んでいたので、気に入ったボトルを買ってハーブティーを注ぎ入れた。

 

ささやかな花を飾った。

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