もめのめも書き

日常のエッセイ、仕事の記録など。

私は84年生まれ。

助言は、占いと少し似ていると思う。

よく当たるか外れるか、寄り添うものか、脅かす口調か。統計学的なもんですよってところとか。頼まれてもないのに口出しすることは、通りすがりに「あなたよくない影が見えますね」なんて言いがかる占い師みたいだ。何度、こんな似非鑑定結果を堂々と口にしたり、されたりしたものだろう。

 

先行き見通しの立たない時、前例を探す先がネットの海だと蝕まれがちだが、アート、小説、映画などは栄養になる。学問も、良い。アートなんかのように、過去を学び知っていた上で新しい価値を提示してみたい。

 

小説「82年生まれ、キム・ジヨン」と、上野千鶴子の「女ぎらい ニッポンのミソジニー」を立て続けに読んだ。

2016年に初刊が出た小説「キム・ジヨン」は、日本で言うと「山田花子」という記号みたいなもので、その世代の女性が被るあらゆる理不尽が淡々と時系列で描かれている。韓国が舞台だけれど、概ね日本の状況と似ていて、小説の締めくくりは寒気すらするが、現実の世界に続きを託されたような希望の感覚もある。「いくら良い人でも、育児の問題を抱えた女性スタッフはいろいろと難しい。後任には未婚の人を探さなくては。」

 

こういう事象をクリアに観察するために、「ミソジニー」という概念を知りたかった。ミソジニーは、女嫌い、女性軽視のこと。女からすると自己嫌悪ともとれる。「女好き」とされる男は、女嫌い、ミソジニーって説明は分かりやすい。(「女をモノにしたい」という表現など)

 

ミソジニーは女の中にも存在する。「男の価値は男に評価されることで決まるが、女の価値は男に評価されることで決まる」このことが、女同士だからと言って分かり合えるわけではないことを示している。

 

男は女に、娼婦と聖女の両方を求めるという。ミソジニーは女性軽視と女性崇拝の両面があるようだ。聖女というのは、母なる存在で、男の出自でもある「母」を蔑視することは、自らを否定することにつながるから崇拝する。女は両方の役割を被ることで、生きづらさが生ずる。母なる存在は、男の評価で崇められているから、家庭内で母と娘の間に、母性を盾にした分かり合えなさが生まれるんだろう。

 

場合によっては読後感の悪いこの本の中で、希望を感じる一文を抜粋。「『女』という強制されたカテゴリーを、選択に変えるーそのなかに、『解放』の鍵はあるだろう。」

 

両方ともお薦めします。

 

 

82年生まれ、キム・ジヨン (単行本)

82年生まれ、キム・ジヨン (単行本)

 

 

 

女ぎらい――ニッポンのミソジニー

女ぎらい――ニッポンのミソジニー

 

 

 

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How old are you?

「でもこれがあたしよ(This is me)。私は今年三十四歳になります。(略)キャリアがあるわけではないけれど、でも心配はしていません。私は自分の可能性にワクワクしています。」「三十四歳。それがあまりにも若いので、(略)つい、にやにやした。」

 

山内マリコさんの「わたしたちよくやっている」の冒頭の短編、「How old are you?」の一部分。

 

たくさんの短編とエッセイが交互に現れて、幾パターンかのエピソードの中に、通底する女の人生のエッセンスがある。具体的に自分とシンクロするとこも多く、ぐさぐさと胸を突かれながらも、「このパターン、私だけでない」と安心もし、勇気をも得る。ちょうど私は三十四歳。

 

この年齢が「もう遅い」とかは決して思っていないのに、日常生活の雑談の中で、自ら「若くない」と収めて、くだらない笑いを産もうとしてしまうことが度々ある。30代くらいを「おばさん」「おじさん」タグ付けしてる瞬間は、俗な世論に迎合していると自分自身に虫唾が走っている。それでもつい、やってしまう。ピンクやレースを好む幼い少女に、「女の子らしいね」なんて言葉をかけて、「らしさ」を植えつけてしまう瞬間も。

 

本当は私は何を思っているの。そのことは、「世論」では間違っているの?

 

そういう時は、こうやって本とか、映画とか、救いがありそうな作品に手を伸ばす。

 

「あなたらしさは誰にも奪われやしないわ」

 

これは、映画「コレット」の中のコレットの母のセリフ。

実在したフランスの女流作家コレットの物語。14歳年上の人気作家ウィリーのゴーストライターとして執筆をした「クロディーヌ」が社会現象を巻き起こすほどのヒットに。以前に鑑賞した「THE WIFE」と似ているが、コレットの場合は、舞台での身体表現、自らの名での執筆と、恐れることなく自分の才能を世に知らしめていく。その傍には、男装の「女性」のパートナー。

 

夫の代わりに執筆をしている最中、コレットのセリフがあった。

「妻で終わらず、何かに触れていたいの」

多分だが、映画の終わりの、自分の道が開けた頃のコレットも、ちょうど三十四歳だった。

 

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不在通知のコーヒー豆。

近所には、いくつか花屋がある。そのうち行ってみたかった花屋で、コーヒー屋の開店祝いのお花を注文した。シックなグリーン系だけど、コーヒーっぽいポイントで色を入れてくださいと。

 

私が山村のゲストハウスを立ち上げた時にやってきてくれたオープニングスタッフの一人が、自分のコーヒー屋をオープンさせた。もっと言うと、出会ったのはそれより前、私が棚田の集落で企画したアートイベントに参加してくれたのがきっかけ。

 

ゲストハウスを立ち上げることになった時の私には0歳の乳飲み子と2歳児がそばにいた。自分が必要な場所をそのまま場のコンセプトにしたので、「こどもの笑顔がまんなかにある大きな家」にした。だから、一緒に働いてくれる人も子どもと自然に過ごせる人が必要だった。その彼が自然に子どもと接していたということと、バイトでバーテンをやっていたといううっすらとした記憶がよみがえり、オープニングスタッフ不足のSOSを出したら、大企業を辞めてやってきてくれた。

 

ゲストハウスにエスプレッソマシンを導入することにし、何が良いかを彼に調べてもらうことにした。どうもそれから彼はコーヒーにのめり込んだようだ。1年後コーヒー屋に転職し、この度、自分のお店を持つことになった。

 

ゲストハウスは、温泉も付いていたし、掃除やごはんや、早朝から夜が更けるまでやることがとにかくいっぱいあって、コーヒーの前にずっといる彼に業を煮やしたりもした。そのことを、私が持っていた店への愛が正義だとばかりにストレートに指摘したりもした。自分が想いを込めている船に一緒に乗っている人たちには、同じだけ同じ視点で一生懸命になって欲しかった。そうしてもらえないと、自分が認めてもらえていないような、愛と執着がこんがらがった苦しい時だった。そんな愛は傲慢であること、今ならよく分かるけれど。

 

 

それぞれの人生のどこかの地点で交差する出会い。今ならこうするだろうという振り返りも、振り返るからこそ出来ること。過去のことはどうにもならなくても、今、素直なおめでとうという気持ちと、喜びを花に託して届けることは出来る。

 

お花のお返しに、と、焙煎したコーヒー豆が届いた。お礼なんかが届いたことが意外だった。ちょうど豆を切らしたいいタイミングだった。

 

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Y町へ。

SNSを流し見る行為の積み重ねで、一方的に知っているような気になってしまう、近くにいなくなったあの人のこと、その人のこと。そのことを悪しきことと、ただ断罪するのは勿体ない。

 

だけど、時折、便りを出したり、直接会いに行くのも大切にしたい。かつて暮らした町の近所の家の人たちは、高齢の方ばかりで、知らない間に亡くなっていて、二度と会えないということもある。

 

それだけは本当に避けたい、特別な存在のお母さんが岡山県のY町にいる。20代半ば間まで実家暮らしだった私が、初めて外へ出て暮らしたのがY町で、そこで実のお母さんみたいに気にかけてくれていた。

 

皇后美智子さまターシャ・テューダーに似ていると私は思っていて、品のある人。畑のお野菜、お花、手作りのご飯で、スープの冷めない距離から愛を届けてくれていた。農法とかよりも、愛のかけ方で野菜が美味しくなることを知った。私は猫が苦手だけど、なぜかこの家の猫だけ平気だった。

 

1年に1度は会っている気がする。お母さんはあまり変わりがなかったが、少し年上のお父さんは80歳になって病もそれなりに抱えていた。町も少しだけ変わっていた。

 

1時間に1本のほぼ無人の駅にIC対応の改札が出来ていたりとか、中学校がもうなくなりそうだとか、そんな変化と同じように、私ももちろん表面的には変化している。だけど23歳の時に初めて降り立った、街灯がなく星だけがただ無数に見えたこの町に感動した時と根本的にはたいして変わらないよ、と言ってくれるみたいに、お母さんは、そのままの、その時の私を静かに優しく受け止めてくれた。

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ギャラリーSと祖父母のこと。

平日の午後。


私が働く神戸北野にあるお店は、集荷から戻ってきた野菜と、ランチに訪れるお客様で賑わう時間帯だ。野菜をどう並べようか思案していたら、お客様と親しげに話す弊店のオーナーの声。「ギャラリーSの道をさっき聞かれたところです」。

 

その声に反応し、その先を見ると、時々ランチを食べに来られる、文化的なセンスが滲み出る年配のジェントルマンの姿が。来店のペース的に、きっとご近所の方とは推測していたが、どなただろうかと気になっていた。ギャラリーのオーナーに違いない。私は思わず駆け寄って、声をかけた。

 

「私、ここで働かせてもらってますが、◯◯の孫です。」

 

私の祖父母は、このギャラリーの方とご縁が深いことはなんとなく知っていた。祖父母の家にあった印象的な抽象画はここのギャラリーとも縁がある気がしていたし、具体的な関係性なんて知らないけれど、今ここに孫がいることをどうしても伝えたくなったのだ。

 

 

祖父母ともに神戸の文化には深く関わった人物と聞く。

学者の祖父は10年ほどの闘病の末、20年ほど前に他界。

祖母は洋画家。今年95になる。

 

祖父母の名前に、Sさんはしっかり反応してくださった。

特に祖父には、神戸の芸術文化の改革を託され、はっぱをかけられたという。

後から調べるとギャラリーのブログに祖父についての記述があった。
蝙蝠日記 | 2015.11 「振り返ってみれば」

(文中の神戸芸術文化会議の議長が祖父)

 

 

Sさんの帰り際にもう一度挨拶をすると、

ランチを召し上がっている最中に祖父とのいろんなことを思い出して、

感極まっている様子だった。

祖母の健在を伝えると、宜しく伝えてくださいと承った。深く握手をした。

 

 

私は早速祖母のもとに向かった。

祖父が病床に伏せってから、ずっと隣の家に暮らしてきた。

祖母の美意識が詰め込まれたような美しい空間。

画材がいっぱいのアトリエ、世界中から集めたセンスの良い土産物のギャラリー。

時々私はそこに行って、確かにエネルギーをもらっていた。

その美しいアトリエの家は今は別の息子夫妻が今風にリノベーションして暮らしており、祖母は山手のケアハウスで暮らしている。正直、最近はほとんど行っていなかったので、突き動かされるような動機をもらったことを、Sさんに感謝をしていた。

 

祖母は、Sさんのことを確かに覚えていて、

祖父がSさんにはっぱをかけたんだと、Sさんと同じ思い出を語っていた。

少しだけ記憶が曖昧な祖母も、昔になればなるほど鮮明に覚えている。

そしてネガティブな感情の記憶はすべて昇華されている。

それはとても美しい姿だと思った。

親類全てがいつも仲良しこよしでやってきたわけじゃないけど、祖母は、人間関係も含めた人生のすべてが良かったと言っているから、私はそれを事実として肯定した。

自分の人生は、自分も周囲も全て肯定して幕を閉じられたら、それで良いんだと思った。

 

 

私は、最近、拙いながらも絵を描いている。

学生時代から趣味で描いたり、描かなくなったり、ブランクはあるけれど。

今も線を描くのにメインで使っているペンは、祖母から教えてもらったものだ。他に調べることもせず、自分にとっての正しさから定番化している。

時々水彩で描く道具も、祖母に聞いて買ったもの。

初めてMacを買った時も、10万円借りた。もしかしたら買ってもらったのかもしれない。祖母は私が絵を描いていることを喜んでいる。

 

 

1時間ほどの会話の中で、祖母は何度か同じ話をした。

「画材がいっぱいあったからもったいない、誰か使って欲しい」と言ったけど、多分それはもうどこにもないのだろう。

 

「水彩はあまり好きじゃないのよね。油絵が好き。何度も塗り直せるから。」

もしかしたら祖母が今の時代を現役で生きていたら、何度も塗り直せるパソコンを駆使していたかもしれないなと思う。

 

自分で描いたイラストを載せた名刺を渡すと、とても喜んで、読みかけの小説に丁寧に挟んでしまってくれた。私の派手で独特な細工のした服も、アクセサリーも、すべて褒めてくれて、祖母とのセンスの合致に嬉しくなる。そういえば、古着がメインだった学生時代は祖母の服を着ていたな。

 

ちょうど60歳離れている祖母に、「まだ若いんだから、遅すぎることなんてないわよ」と言われると、本当にそうだし、祖母の血を引き継いでいるから出来ないはずはないと励まされる。祖母との握手。次も何か、私の絵を手土産に会いに行きたい。
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新月に寄せて。

イラスト描きました。

この春、横浜の自然の中に誕生する「森の学童」。自然での五感体験を子供たちの持つcreativeな感覚を磨く」ことがテーマの学童。すでに活動を重ねている「かいじゅうの森のようちえん」の学童バージョンです。募集チラシの作成などもお手伝いさせていただきました。公立の学校に通い、放課後は森という選択肢があるって良いですね!生徒募集中です。必要な方に情報が届きますように。

 

www.makadonia.org

www.kaijyunomori.com

 

..

去年の秋頃、勤務先のボスに、Tシャツのイラストを描く機会をいただいてから、絵を描くのは楽しいってことを思い出して、いろいろ探求中です。

 

 

  
思い返せば、小学生の時、父のMacに入ってたキッドピクスというソフトで、ずっと絵描いてた。どっかクリックするとありえないシチュエーションの絵のお題が出されて(詳しくは覚えてないけど)、それをひたすら描くという。  
  
大学生の時は、女の子の絵とポエムみたいなんで「乙女可憐達(カレンダー)」というのを作って生協で販売したりも。結婚してからは、赤子背負いながら家の軒先で鹿を捌いた思い出をイラストと言葉で「解体新書」っていうzineつくって展示したり、自分のドキュメンタリー番組で朗読した。  
  
そう言えば、描くの好きだったし、描いてたなあと思い出したわけです。そして過去の作品掘り起こしたら、「こんなん描いてたんや」という自分に眠る感性をも思い出した。脳みそだけじゃもう覚えて切れてない。もので残すんも大事やなあ。  
  
改めて今、自分の内なるもんも、キッドピクスみたいな無茶なお題もいろいろ描いていこうと思った次第。f:id:momemome:20190205211146j:plain

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