もめのめも書き

日常のエッセイ、仕事の記録など。

35歳に寄せて

「お母さん今何歳?」

「35歳」  

  

  

それが自分の母親の年齢を意識した最初の記憶。計算すると、その時私は8歳。青のクレヨンで描いたワンピースを着た母の似顔絵の横に、35さいと書き添えた記憶が、ぼんやりと伴う。  

  

  

当時の母の年齢を迎え、あの頃の母の内心を想像する。「お母さん」という存在にしか見えなかったその心の内に、消化出来ない「女」を秘め殺していたなんてことはなかったのだろうか。  

  

  

35歳。分かれ道、境い目。

産むの産まないの。続けるの変えるの。選ぶ/選ばれる/選ばれない/選ばざるを得ない。現実に抗おうとする程に、現実を知る。女にとっては、そんな年頃なんじゃないだろうか。  

  

  

ゼロからやり直しは効かないし、魔法使いは登場しません。若さ、可愛さ通用しません。産んだ、育てた武器にしても賞味期限すぐきます。男以上にシビアです。35年の地層を見つめ直して、ないない思ったけどこんなにあったよと、自分で自信持つしかないです。 

 

  

それら存じた上で、新しく、皮剥いで、お迎えしましょう。35歳のわたし、お出ましです。  

  

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本、発売のお知らせ。

本が発売されました。

 


子どもがつぶやく、何気ない言葉。

ハッとしたり、キュンとしたり。そんな言葉を約二十年前の子育て中に、数年に渡ってノートに書き留めていたさかいゆきこさん。

 


それらが一冊の本になり、私は、すべての言葉にイラストを添えさせていただきました。

 


ゆきこさんと初対面の喫茶店。そのノートを見せてもらった時、号泣してしまい、なんでだろうかと自分でも驚きました。

 


子どもとのささやかな日常のやりとりは、決して所有できない一瞬のもの。

 


この本に収められたのは、「りょうへいくん」という一人の子どもの言葉を「りょうへいくんのお母さん」が書き留めた、ごく私的なもの。なのに、普遍的。この世界は、光の照らし方次第だってこと、一瞬一瞬が積み重なって来るってことを確認させてくれます。

 


82の言葉から、自分だけの琴線に触れ、心の鍵穴から手を突っ込んで、奥底の感情を掻き出してください。穏やかに笑みがこぼれるかもしれないし、針が刺すような痛みを伴うかもしれない。自分も日々の言葉にアンテナ張って書き留めてみようって思うかもしれない。ゆきこさんと、私もこの本の受け取り方は異なるはずです。

 


Amazonでは販売開始、全国の大手書店でも遅くとも9月10日頃には並ぶ予定だそうです。どうぞお手にとってお買い求めいただけると嬉しいです。私と会える方は、直接販売も可能です。(まとまった人数そろい次第)

 


たくさんの人のもとに、届きますように。

愛を込めて!

...

うるうるあはは

ちいさなおしゃべりたからばこ

 


発行アートヴィレッジ

価格税込1500円

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Amazon

https://amzn.to/2Pp9Luw

藪の中。

芥川の「藪の中」は、話し手によって「真実」が異なる。

 

ドラマ「凪のお暇」では、空気を読み器用に生きている”風”の慎二は、より空気を読みすぎる凪の存在に救われているのに、素直になれず凪を苦しめる。凪目線と慎二目線では、同じシーンも、まるで見え方が違う。

 

映画「万引き家族」では、疑似家族に感情移入して長時間鑑賞した後半戦、警察が滔々と状況説明する言葉に、私たちは、さっきまでと異なる世界を見る。

 

10年ほど前に、私は父と祖母をインタビューをした映像作品を作った。二人の視点から語られる真実は異なった。

わたしはナレーションでこう綴った。

「誰もが自分の人生のストーリーテラーになる。それは、すべてが虚構で、すべてが真実。過去を消化し、次へ進むため、自分で作ったストーリーを人に聞かせるのだ。私もまた同じように。私がひもとき、綴り直した新たなこのストーリー。私はまだ見ぬ自分の子や孫の足元に、ひそかにバトンを置いたのだ。」

 

 

真実はいつもひとつじゃないよ、コナンくん。

 

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私は84年生まれ。

助言は、占いと少し似ていると思う。

よく当たるか外れるか、寄り添うものか、脅かす口調か。統計学的なもんですよってところとか。頼まれてもないのに口出しすることは、通りすがりに「あなたよくない影が見えますね」なんて言いがかる占い師みたいだ。何度、こんな似非鑑定結果を堂々と口にしたり、されたりしたものだろう。

 

先行き見通しの立たない時、前例を探す先がネットの海だと蝕まれがちだが、アート、小説、映画などは栄養になる。学問も、良い。アートなんかのように、過去を学び知っていた上で新しい価値を提示してみたい。

 

小説「82年生まれ、キム・ジヨン」と、上野千鶴子の「女ぎらい ニッポンのミソジニー」を立て続けに読んだ。

2016年に初刊が出た小説「キム・ジヨン」は、日本で言うと「山田花子」という記号みたいなもので、その世代の女性が被るあらゆる理不尽が淡々と時系列で描かれている。韓国が舞台だけれど、概ね日本の状況と似ていて、小説の締めくくりは寒気すらするが、現実の世界に続きを託されたような希望の感覚もある。「いくら良い人でも、育児の問題を抱えた女性スタッフはいろいろと難しい。後任には未婚の人を探さなくては。」

 

こういう事象をクリアに観察するために、「ミソジニー」という概念を知りたかった。ミソジニーは、女嫌い、女性軽視のこと。女からすると自己嫌悪ともとれる。「女好き」とされる男は、女嫌い、ミソジニーって説明は分かりやすい。(「女をモノにしたい」という表現など)

 

ミソジニーは女の中にも存在する。「男の価値は男に評価されることで決まるが、女の価値は男に評価されることで決まる」このことが、女同士だからと言って分かり合えるわけではないことを示している。

 

男は女に、娼婦と聖女の両方を求めるという。ミソジニーは女性軽視と女性崇拝の両面があるようだ。聖女というのは、母なる存在で、男の出自でもある「母」を蔑視することは、自らを否定することにつながるから崇拝する。女は両方の役割を被ることで、生きづらさが生ずる。母なる存在は、男の評価で崇められているから、家庭内で母と娘の間に、母性を盾にした分かり合えなさが生まれるんだろう。

 

場合によっては読後感の悪いこの本の中で、希望を感じる一文を抜粋。「『女』という強制されたカテゴリーを、選択に変えるーそのなかに、『解放』の鍵はあるだろう。」

 

両方ともお薦めします。

 

 

82年生まれ、キム・ジヨン (単行本)

82年生まれ、キム・ジヨン (単行本)

 

 

 

女ぎらい――ニッポンのミソジニー

女ぎらい――ニッポンのミソジニー

 

 

 

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How old are you?

「でもこれがあたしよ(This is me)。私は今年三十四歳になります。(略)キャリアがあるわけではないけれど、でも心配はしていません。私は自分の可能性にワクワクしています。」「三十四歳。それがあまりにも若いので、(略)つい、にやにやした。」

 

山内マリコさんの「わたしたちよくやっている」の冒頭の短編、「How old are you?」の一部分。

 

たくさんの短編とエッセイが交互に現れて、幾パターンかのエピソードの中に、通底する女の人生のエッセンスがある。具体的に自分とシンクロするとこも多く、ぐさぐさと胸を突かれながらも、「このパターン、私だけでない」と安心もし、勇気をも得る。ちょうど私は三十四歳。

 

この年齢が「もう遅い」とかは決して思っていないのに、日常生活の雑談の中で、自ら「若くない」と収めて、くだらない笑いを産もうとしてしまうことが度々ある。30代くらいを「おばさん」「おじさん」タグ付けしてる瞬間は、俗な世論に迎合していると自分自身に虫唾が走っている。それでもつい、やってしまう。ピンクやレースを好む幼い少女に、「女の子らしいね」なんて言葉をかけて、「らしさ」を植えつけてしまう瞬間も。

 

本当は私は何を思っているの。そのことは、「世論」では間違っているの?

 

そういう時は、こうやって本とか、映画とか、救いがありそうな作品に手を伸ばす。

 

「あなたらしさは誰にも奪われやしないわ」

 

これは、映画「コレット」の中のコレットの母のセリフ。

実在したフランスの女流作家コレットの物語。14歳年上の人気作家ウィリーのゴーストライターとして執筆をした「クロディーヌ」が社会現象を巻き起こすほどのヒットに。以前に鑑賞した「THE WIFE」と似ているが、コレットの場合は、舞台での身体表現、自らの名での執筆と、恐れることなく自分の才能を世に知らしめていく。その傍には、男装の「女性」のパートナー。

 

夫の代わりに執筆をしている最中、コレットのセリフがあった。

「妻で終わらず、何かに触れていたいの」

多分だが、映画の終わりの、自分の道が開けた頃のコレットも、ちょうど三十四歳だった。

 

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不在通知のコーヒー豆。

近所には、いくつか花屋がある。そのうち行ってみたかった花屋で、コーヒー屋の開店祝いのお花を注文した。シックなグリーン系だけど、コーヒーっぽいポイントで色を入れてくださいと。

 

私が山村のゲストハウスを立ち上げた時にやってきてくれたオープニングスタッフの一人が、自分のコーヒー屋をオープンさせた。もっと言うと、出会ったのはそれより前、私が棚田の集落で企画したアートイベントに参加してくれたのがきっかけ。

 

ゲストハウスを立ち上げることになった時の私には0歳の乳飲み子と2歳児がそばにいた。自分が必要な場所をそのまま場のコンセプトにしたので、「こどもの笑顔がまんなかにある大きな家」にした。だから、一緒に働いてくれる人も子どもと自然に過ごせる人が必要だった。その彼が自然に子どもと接していたということと、バイトでバーテンをやっていたといううっすらとした記憶がよみがえり、オープニングスタッフ不足のSOSを出したら、大企業を辞めてやってきてくれた。

 

ゲストハウスにエスプレッソマシンを導入することにし、何が良いかを彼に調べてもらうことにした。どうもそれから彼はコーヒーにのめり込んだようだ。1年後コーヒー屋に転職し、この度、自分のお店を持つことになった。

 

ゲストハウスは、温泉も付いていたし、掃除やごはんや、早朝から夜が更けるまでやることがとにかくいっぱいあって、コーヒーの前にずっといる彼に業を煮やしたりもした。そのことを、私が持っていた店への愛が正義だとばかりにストレートに指摘したりもした。自分が想いを込めている船に一緒に乗っている人たちには、同じだけ同じ視点で一生懸命になって欲しかった。そうしてもらえないと、自分が認めてもらえていないような、愛と執着がこんがらがった苦しい時だった。そんな愛は傲慢であること、今ならよく分かるけれど。

 

 

それぞれの人生のどこかの地点で交差する出会い。今ならこうするだろうという振り返りも、振り返るからこそ出来ること。過去のことはどうにもならなくても、今、素直なおめでとうという気持ちと、喜びを花に託して届けることは出来る。

 

お花のお返しに、と、焙煎したコーヒー豆が届いた。お礼なんかが届いたことが意外だった。ちょうど豆を切らしたいいタイミングだった。

 

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